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マハトマ・ガンディー(偉大なる魂の子ども時代) [世界史]

「一人に可能なことは、万人にも可能であると私は信じている」 マハトマ・ガンディー

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 インド独立の父と言われたガンディーの子ども時代の話です。彼は小王国の宰相の家の子として生まれました。そんな彼には変わった趣味がありました。彼は毎日家から学校まで全速力で走って通っていたのです。体力増強のため?いえいえ、実はこうして走っていれば、誰とも話さなくて済むからなのです。彼はひどい人見知りで、気持ちも弱かったのです。

 そんな彼が当時のエリートのお決まりコースでイギリス留学し、弁護士になりました。しかし、人前に出ると緊張して声が出なくなるガンディーの弁護はひどいものでした。失意の中、南アフリカ共和国に移った彼を更に屈辱的な経験が待っていたました。南アフリカ共和国は当時はアパルトヘイトの国。肌の色が黒いというだけで、乗っていた列車から叩き出されてしまったのです。これに悲しみ怒った彼は、自分に何かできないかと考えました。
「そうだ、自分には法律の知識がある」。
 彼が人種差別と闘う弁護士に生まれ変わった瞬間です。その後は、イギリスに植民地にされていたインドに帰り、非暴力不服従という奇跡の方法で、インドの独立を勝ち取ったのです。

 インド独立後にもガンディーのすごい話が伝わっています。独立運動中は協力していたヒンドゥー教徒とイスラム教徒が、ついに衝突、殺し合いの惨劇が全国に広がりました。普通の政治家なら、軍や警察を出動させ鎮圧するに違いありません。しかし、ガンディーは違いました。何と事態を悲しみ、食を絶ったのです。断食です。結果、ガンディーが死ぬかも知れないといううわさが国民に広がると、自然と争いは静まったそうです。

 彼ほど国民に愛され、信頼された政治家はいません。彼の無私の生き方が国民に深く理解されていたのでしょう。(彼が暗殺されたのも、宗教間の争いや差別をなくすため、彼自身がヒンドゥ教徒であることをやめたことが、狂信的な信者に誤解されたからです。)彼は聖人と呼ぶべきかも知れません。私は若いころ、インドを訪れましたが、ガンディーのお墓に、人々が絶えず赤い花(何かの象徴らしいのですが忘れました)を備えている姿を見たのを覚えています。




タグ:偉人 伝記
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