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出会った人が感動する 西郷隆盛の魅力 [日本史]

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 西郷隆盛が薩摩藩の若者たちのリーダーとして信望を集め始めた頃の話です。年始のあいさつに西郷隆盛の家を多くの藩士が、菓子折りを持ってあいさつに来ていました。隆盛の弟(のちの西郷従道)が受付係でした。その中に貧しい男がやってきて、菓子折りの代わりに焼き魚を2匹渡しました。貧しくて他の藩士のような菓子折りを用意できなかったのです。その時に弟は「焼き魚ですか」と、くすっと笑いました。その瞬間、それまでにこやかだった隆盛が急に鬼のような形相に変わり、弟をどなりつけました。
「何を笑うか!この方は、この方のせいいっぱいの誠意を尽くしておられるのだ。こんなにうれしい贈り物があるか」
 そういうと、男の手を握って、弟の非礼を詫びたのでした。男は涙して感激し、西郷隆盛のために命を捨てて役に立ちたいと思ったのでした。後に男は人斬り半次郎(中村半次郎、明治維新後、桐野利秋)の異名を持ち、西郷隆盛のために活躍します。そして西南戦争では、最後まで西郷隆盛に従い、額に銃弾を受けて果てることになります。
 彼の人に対しての誠意は並外れています。坂本龍馬が西郷の屋敷に初めて来たときに、隆盛を待つ間に、竜馬は鈴虫を捕まえていました。西郷は鈴虫をかごに入れると、いつ再び現れるか分からない竜馬のために、鈴虫が死ぬたびに、鈴虫を自ら探してかごに飼い続けました。竜馬が来た時に捕まえた鈴虫が死んでいたら、竜馬が悲しむと思ったからです。
 西郷隆盛なくしては明治維新は成らなかったでしょう。そして彼にそれを成さしめたのは、人望です。彼の打算のない人に対する誠意が、多くの人たちを感動させたのでしょう。本当に西郷さん、すごいです。
タグ:幕末 伝記

マハトマ・ガンディー(偉大なる魂の子ども時代) [世界史]

「一人に可能なことは、万人にも可能であると私は信じている」 マハトマ・ガンディー

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 インド独立の父と言われたガンディーの子ども時代の話です。彼は小王国の宰相の家の子として生まれました。そんな彼には変わった趣味がありました。彼は毎日家から学校まで全速力で走って通っていたのです。体力増強のため?いえいえ、実はこうして走っていれば、誰とも話さなくて済むからなのです。彼はひどい人見知りで、気持ちも弱かったのです。

 そんな彼が当時のエリートのお決まりコースでイギリス留学し、弁護士になりました。しかし、人前に出ると緊張して声が出なくなるガンディーの弁護はひどいものでした。失意の中、南アフリカ共和国に移った彼を更に屈辱的な経験が待っていたました。南アフリカ共和国は当時はアパルトヘイトの国。肌の色が黒いというだけで、乗っていた列車から叩き出されてしまったのです。これに悲しみ怒った彼は、自分に何かできないかと考えました。
「そうだ、自分には法律の知識がある」。
 彼が人種差別と闘う弁護士に生まれ変わった瞬間です。その後は、イギリスに植民地にされていたインドに帰り、非暴力不服従という奇跡の方法で、インドの独立を勝ち取ったのです。

 インド独立後にもガンディーのすごい話が伝わっています。独立運動中は協力していたヒンドゥー教徒とイスラム教徒が、ついに衝突、殺し合いの惨劇が全国に広がりました。普通の政治家なら、軍や警察を出動させ鎮圧するに違いありません。しかし、ガンディーは違いました。何と事態を悲しみ、食を絶ったのです。断食です。結果、ガンディーが死ぬかも知れないといううわさが国民に広がると、自然と争いは静まったそうです。

 彼ほど国民に愛され、信頼された政治家はいません。彼の無私の生き方が国民に深く理解されていたのでしょう。(彼が暗殺されたのも、宗教間の争いや差別をなくすため、彼自身がヒンドゥ教徒であることをやめたことが、狂信的な信者に誤解されたからです。)彼は聖人と呼ぶべきかも知れません。私は若いころ、インドを訪れましたが、ガンディーのお墓に、人々が絶えず赤い花(何かの象徴らしいのですが忘れました)を備えている姿を見たのを覚えています。




タグ:偉人 伝記

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