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47都道府県の戦国という本の紹介 [日本史]

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<監修> 八幡和郎  <出版>だいわ文庫

 47都道府県ごとの県別に各大名家について書いてあります。県を代表する大名家の代表武将と、その家の興亡について載っています。
タグ:武将 日本史

「47都道府県の合戦」という本の紹介 [日本史]

「47都道府県の合戦」という本の紹介

 著者 八幡和郎   だいわ文庫


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 いろんな時代の日本の戦いが、地域や県ごとに分けられて紹介されている本です。オススメポイントは、地域別や県別にいろんな時代の合戦が乗っているので、珍しいし、時代別や武将別に分けられている本とは、違う見方ができます。









タグ:日本の合戦

徳川家康 「野犬と格闘?」 [日本史]

徳川家康の少年時代 野犬と格闘、その心は・・・>

徳川家康.png

 家康の少年時代、彼は19歳になるまでの長い間、今川義元の人質生活を送っていました。まだ幼い少年時代の話です。少年家康が傷だらけになって、野犬と格闘しているのを家来が見つけた。
家来 「若様、何をしておられます!あぶのうございます、おやめください!」
少年家康 「うるさい!わしはどうあっても、この犬を討ち果たさねばならぬのじゃ」
家来が止めるのも聞かず、ついに少年、家康は血だらけになって、犬の死骸を家来に見せた。
家来 「若様、なぜこのような危ないことをされるのです」
少年家康は不敵な笑顔を見せてこういった。
少年家康 「よいか、この犬はわしが飼っておった鶏をくらって殺した。飼っていた以上、鶏はわが家来も同然。家来の敵はわしが討たねばならぬのじゃ」
これを聞いた家来たちは「何と家来思いの若殿じゃ。尋常な器ではない」と感動し、今川人質時代がどんなに長くつらくても、けっして彼のそばを離れることはなかったという。

 家康は待つだけの人物ではありません。彼に天下をとらせた大きな要因の一つは、家来に信頼されたこと。後に「わたしのために死をもいとわない家来たちこそ、わが宝」と豊臣秀吉の前で言った家康を、ほうふつとさせるエピソードですね。

タグ:人物伝

石田三成と大谷吉継の友情 [日本史]

 石田三成と大谷吉継の友情

大河ドラマで大ブレイク中のお二人に関するエピソードです。

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 ある時、豊臣政権の武将達を集めてお茶会が開かれた。その場に、石田三成と大谷吉継も参加していた。しかし、大谷吉継はすでにライ病(当時は有効な治療方法がなかった)をわずらい始め、まわりの武将達も知っていた。しかも、当日の吉継はひどい鼻かぜをひいていたのだった。


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 さて、お茶はご存知の通り、口を直接つけて回し飲みをする。お茶が吉継にまわってくると、なんと鼻水がたれて、お茶に入ってしまったのだ。それをみな目撃していた。その後もお茶は各武将にまわっていくのだが、みな、口をつけるそぶりだけみせて、次の人にまわしていく。吉継は死にたいくらいはずかしかった。その時だった。三成が
「あぁ、のどがかわいてたまらん。ご無礼」
といって茶碗を取り上げ、なんと、一気に鼻水入りのお茶を飲み干したのだ。そして三成は、
「これは失礼いたした。新しいお茶をたてるのでお許しを」
吉継に恥をかかせないため、三成は身体をはったのだ。
 帰宅後、吉継は涙ながらに家来に語っている。
「三成のために、わしは命を捨てても惜しくない」
 これが、後の関ケ原の合戦前夜、徳川家康に対してあきらかに実力不足であった石田三成の味方をし、まるで三成をかばうかのような奮戦をみせる大谷吉継の姿に結実する。

 三成は欠点も多かったですが、美徳もたくさんありました。友情、これより強いものは今も昔もないですね。そんなところが、今の三成人気につながるのでしょうね。

豊臣秀吉 「サルのきのこ狩り」 [日本史]

<豊臣秀吉が、きのこ狩りを思い立った。さて、その、てんまつは・・・」

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 豊臣秀吉が太閤殿下と呼ばれ、天下人として揺るぎなき時代のこと。秀吉は側室、家来、女官たちを連れて、きのこ狩りをすることになった。さて、前日の夜のこと、きのこ狩りの担当者が不安になってきた。
「もし、明日きのこを狩りにいって、きのこがあまりなかったら、太閤殿下はお怒りになるかも知れん」

そう思った担当者はいてもたってもいられず、夜中に現地を下見に行くことにした。さて、現地に着くと、不審な男の影が見えた。
「そこにいるのは誰じゃ!明日の太閤様の、きのこ狩り予定地と知ってのことか!」 と大声で叫んだ。

すると男の影はごそごそと動き、ほおかむりを取った。
「いやー、見つかってしもうたか」

担当者はびっくり仰天。何とその男は、豊臣秀吉であった。
「こっ、これは、殿下とは知らずに大変ご無礼を・・・。まさか殿下がおられるとはつゆ知らず・・・」

すると、秀吉は恥ずかしそうに笑って言った。
「いやあの、明日のきのこ狩りで、もしきのこが足りなかったら、家来も女どももがっかりするかも知れん。それで、ほれ、こうして、きのこを植えとったんじゃ」

 天下人の秀吉が、家来たちを喜ばせるために、夜中にきのこを植える姿を想像してみてください。普通では考えられないことですね。秀吉は農民(足軽)の子として生まれ、何のバックもないところから天下人に出世していきました。彼の最大の力は、人たらしといわれる、人を引き付けて離さない人間的魅力。晩年、淀君と我が子かわいさに汚点を残しましたが、それでも晩年の彼に、このような人並外れた気配りのエピソードが伝わっています。さすが人たらしですね。

勝海舟 「あきらめの悪い人」 [日本史]

<筋金入りのあきらめの悪さ> 勝海舟

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 勝海舟がまだ若く、貧乏暮らしだった頃。海舟は本屋で珍しいオランダの兵書を見つけた。しかし、金額は五十両という大金。すぐには用意できない。そこで、海舟はあちこちでお金を工面してまわった。やっとのことでお金をかき集め、本屋に行くと、なんと本はすでに、とある与力に売れてしまっていた。
 どうしてもあきらめられない海舟は、その与力を訪ね、貸してほしいと頼んだ。しかし、自分も読むので貸せないという。しかし海舟はあきらめない。さらに食い下がり、それでは、その与力が寝た後の時間だけ、見せてほしいと頼んだ。あまりのしつこさに閉口した与力は、「それなら夜の10時から翌朝までなら、自分の家で見てよい」と言った。
 それから海舟は半年の間、毎晩通いつめ、ついにその兵書をすべて写しとってしまった。そのことに、いたく感じ入った与力は、「この本はあなたのような人が持つべきだ」と、ただでゆずってくれたという。

 成功哲学の名著「思考は現実化する」の中で、成功者の特徴として、ナポレオンヒルは「成功する人は、途中でけっしてあきらめない」と言っています。当たり前の言葉のようですが、実際にやれる人は本当にすごいです。見習いたいです。
タグ:幕末 人物伝

出会った人が感動する 西郷隆盛の魅力 [日本史]

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 西郷隆盛が薩摩藩の若者たちのリーダーとして信望を集め始めた頃の話です。年始のあいさつに西郷隆盛の家を多くの藩士が、菓子折りを持ってあいさつに来ていました。隆盛の弟(のちの西郷従道)が受付係でした。その中に貧しい男がやってきて、菓子折りの代わりに焼き魚を2匹渡しました。貧しくて他の藩士のような菓子折りを用意できなかったのです。その時に弟は「焼き魚ですか」と、くすっと笑いました。その瞬間、それまでにこやかだった隆盛が急に鬼のような形相に変わり、弟をどなりつけました。
「何を笑うか!この方は、この方のせいいっぱいの誠意を尽くしておられるのだ。こんなにうれしい贈り物があるか」
 そういうと、男の手を握って、弟の非礼を詫びたのでした。男は涙して感激し、西郷隆盛のために命を捨てて役に立ちたいと思ったのでした。後に男は人斬り半次郎(中村半次郎、明治維新後、桐野利秋)の異名を持ち、西郷隆盛のために活躍します。そして西南戦争では、最後まで西郷隆盛に従い、額に銃弾を受けて果てることになります。
 彼の人に対しての誠意は並外れています。坂本龍馬が西郷の屋敷に初めて来たときに、隆盛を待つ間に、竜馬は鈴虫を捕まえていました。西郷は鈴虫をかごに入れると、いつ再び現れるか分からない竜馬のために、鈴虫が死ぬたびに、鈴虫を自ら探してかごに飼い続けました。竜馬が来た時に捕まえた鈴虫が死んでいたら、竜馬が悲しむと思ったからです。
 西郷隆盛なくしては明治維新は成らなかったでしょう。そして彼にそれを成さしめたのは、人望です。彼の打算のない人に対する誠意が、多くの人たちを感動させたのでしょう。本当に西郷さん、すごいです。
タグ:幕末 伝記
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